数学的思考での対話は有効か?

昨今、「論理的思考」や「データに基づく」という言葉がよく使われるようになった。先日、「数学的思考で対話せよ」という記事が目に留まった。特に社内での議論を前提としているようだが、果たしてそれは本当に有効なのだろうか?
私の高校時代の夢は数学者であり、大学で数学を専攻した。数学者を志した者の視点から、実務経験を織り交ぜて、それが有効かどうか、自分の意見を書き留めておきたい。

モデルの引用は仮定が重要

ビジネスの現場でも、時々数理モデルが用いられることがある。例えば、金融であれば株式の期待リターンを求めるCAPM(Capital Asset Pricing Model)やオプションの価格を求めるBlack-Scholes Mode(Black.F, M.Scholes(1973))がある。経営であれば、商業施設の集客を施設までの距離と施設の魅力度から求めるハフモデル(Huff.D.L (1963))がある。

これらのモデルを用いると、一気に説得力が増す。私も実務でそのような経験をしてきた。特に、これらのモデルは式が簡単でわかりやすし、簡単なモデルほど現場でも受け入れられやすい。

しかし、モデルを使う場合には、仮定を満たしているか確認する事がとても重要だ。
例えば、CAPMの場合、株式のリターンが正規分布に従うか、効用が二次効用でなければならない。また、式に当てはめる、市場ポートフォリオ(Market Portfolio)についても、実際にこれを再現する事はできない。ただ、前者については他の理論の助けを借りて正当化が可能だ。

因みに、ファイナンス理論では、期待リターンを最大化するのではなく、投資家の期待効用を最大化するのである。この事実を知っている金融実務家は殆どいない。

実際の経済は複雑なため、モデルでは、問題を簡素化する為に、幾つかの仮定が置かれる。そのもとで、とてもシンプルな結論が導かれるのが理論である。理論の結果はシンプルなほど美しく、学術界で価値がある。
私自身も、実際に世の中の真理は極めて単純な構造で出来ていると信じている。
論文の著者は、はじめからシンプルな結果になるように方向付けをして、筆を進めているのだ。その為に、幾つもの仮定を置くのは普通だ。私も論文を書いた際には、幾つもの仮定を置いた。それでも、複雑だったのは、凡人の表れだろう。

誤解しないで頂きたいが、私は仮定を批判しているのではない。適切な仮定は必須だと考えている。そして、単純化こそ物事の本質を捉える技術だと思っている。複雑にすると、実態に近づくが、多くの場合、それはただの数学の問題になってしまう。

実務では、モデルの結果だけに着目し、仮定を確かめもせずに、数字を入れる事が多い。
実際に、理論の仮定を完全に満たすことは少ないが、少なくとも、話者は「仮定は何か」を言える事が重要だ。仮定を満たさないと、それは間違った結果でしかない。

隙のない理屈は通じるか?

さて、数学的思考で、定義、理論を繰り返すことで、相手を説得する事は可能だろうか?
私は、「出来ない」と思っている。
むしろ、理論でガチガチに固めてしまうと、相手が遠のいていくと考えている。それは、これまでのサラリーマン生活から導かれた結論だ。

私は、人間対人間のやりとりでは、必ず相手に反論を与える「スキ」が必要だと思う。自分で意識して、そのスキを用意しておき、そこに相手が乗ってきたら、とても良い結果が期待できるだろう。相手を満足させながら、こちらの方向へ持っていけるからだ。

言うまでもなく、この「スキ」はプログラミングでは絶対に許されない。人間だからスキが許され、それがもたらす利益も不確かだ。これは、人間対人間でのやりとりだからこそである。

データ分析は人間の補助

私はデータ分析とよく口にするが、実は「データこそ全て」とは「思っていない」。データは事実を教えてくれる。特に、Pythonにより、これまで見えていなかった像が、データの中で浮かび上がらせる事が可能となった。但し、それに意味を与えるのは人間の仕事である。Pyhonは特徴を見つけてくれるが、それが何かは教えてくれない。

私は機械に出来る事は機械に任せ、人間は人間にしか出来ない事をやればいいと思っている。例えば、その結果、労働時間が減り、給料は変わらず、というのが理想である。或いは、給料が増えるならば尚良い。もしくは、労働が暇つぶしの余暇になればもっと良いと思う(この思想についは後日)。

データ分析は、今まで見えなかったことを見えるようにする道具であり、それは人間を補助する機能だと考えている。最後に判断するのは人間だ。そこには、経験や勘が介入しても構わない。但し、正しい判断、或いは、より良い判断をする為には、仮定やデータ分析の結果を正確に理解する事が重要だ。

ただし、闇雲にコンピューターに計算をさせるだけでは、電気も時間も浪費する事は付け加えておこう。それは脱炭素社会や新しい時代の働き方に逆行するものだ。それを避けるには、やはりある程度の理論的背景の知識は必要だろう。

【参考資料】

    https://business-map.esrij.com/glossary/2021/
    【概要】
    店舗の魅力(規模など)とそこまでの距離で、顧客の吸引率を導くモデル。魅力に比例し、距離には急激に反比例する。食品などは距離が遠いと急激に吸引率が下がるようにモデル化できる。
  • 本間健太郎、藤井明(2011)
    「消費者モデルに着目したハフモデルの新しい導出方法」
    都市計画論文集 Vol46 No.3 2011年10月 https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/46/3/46_3_865/_pdf
    【概要】
    消費者は「購買地」ではなく、「財」を直接選択する。そして、「財」の効用はロジスティック分布に従うとして、出発するハフモデルの拡張。
  • 奥貫圭一、今井美緒、森田匡俊(2006)
    「直線距離と道路距離のハフモデルへの適用比較」
    第15回GISA学術研究発表大会
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/46/3/46_3_865/_pdf
    【概要】
    ハフモデルの距離を直線距離、道路距離とした場合の適合度の検証。オリジナル(1963)に現代のGPS等の情報を活用して検証したもの。